こんにちは。私は現在小学5年生の長男と1年生の次男(脳性まひ児)を育てています。今回は家族への「障がい告知」について書きたいと思います。
大正生まれ、価値観が古い祖母
突然ですが私には大正生まれ、御年98歳になる祖母がいます。
第二次世界大戦も乗り越えてきたこの祖母は、ごりごりの昭和人間。
それも昭和初期で価値観が止まっていて、まぁ口も悪いし態度もでかい、中々の曲者です。
祖父母と同居で育った私、祖母の不適切にもほどがある発言に傷つき泣いた思い出は数知れず・・・。
それでも、父母とは違う優しさ、温かさで愛してくれた祖母は、私にとって大切な存在です。
80代後半の祖母 おめかししています
長男出産時の妊娠トラブル・・祖母の言葉に傷ついた私
妊娠トラブルが多かった私は長男の妊娠中に長期入院を経験し、1000g以下という祖母の時代には恐らく生き残っていないであろうグラム数で長男を産みました。
NICUに長男を置いたまま先に退院。NICUへ通うため実家に一人で里帰りした私に、祖母からは
「妊娠中ちゃんとしてなかったからやないんか」
「そんな小さくては大きくなれんわ」
「赤ちゃんいないのに旦那さんのご飯はちゃんと作らんといかんやろ」
などなど、空気が読めない時代錯誤な言葉の嵐で、「要するに心配してるんだろうな、おばあちゃんだから仕方ないな」とは分かっていても、普通に傷つくし涙が出る。非常に辛い思いをしました。
次男を妊娠するも祖母には秘密のまま出産
長男出産時の教訓から次男を妊娠した際には無事に産まれて安心できるまで祖母には妊娠を伏せておこうと決めました。
次男妊娠中に実家に帰ると、妙に感の鋭い祖母から「お腹に赤ちゃんおるんやないんか?」と何度か聞かれたけれどずっとごまかしていました。
ところが次男は長男よりも小さく産まれてしまいました。生後数日でウンチがうまく出せず小腸に穴が空き、緊急手術。手術後に血圧が中々戻らず、脳への血液が不足してしまい次男は脳性まひ児になりました。
NICUでの次男
自分自身がその事実を受け入れることに必死でギリギリの精神状態だったので、祖母の相手までしていられません。傷つくのが怖くて家族には祖母に産まれたことを言わないように頼みました。
施設に入所した祖母に会えないまま時が過ぎ、父からの思いがけない電話
そうこうしている間に高齢で要介護だった祖母は次男の存在を知らないまま施設へ入所。
次男が2歳になるころにようやく自分の心が落ち着きそろそろ祖母に話そうか・・と思えてきたのだけれど、間が悪く世間はコロナ禍に突入です。高齢者施設は面会が制限され、祖母に会えなくなりました。
施設に会いに行くたび、祖母とツーショット自撮りを楽しんだ
頭の片隅に祖母のことが引っかかっていながらも、日々の子育てに忙殺され月日が流れていき、コロナ禍が落ち着き施設の面会制限も緩和された頃に父から一本の電話がありました。
「おばあちゃんの容態がよくない。もうそろそろかもしれない。顔を見せに行ってくれないか」
妖怪のようにいつまでも元気だと思っていたので、まさかの電話でした。
その電話を受けて最初に頭をよぎったのは、まだ祖母に存在を打ち明けていない次男のこと。次男はもう5歳になっています。
大きくなった次男は歩けずバギーに乗っているし、お話もできません。一目で重い障がいがあることが分かります。
死期が近い祖母にとって、突然重度障がいがあるひ孫が現れたら、どう受け止めるだろう。ショックで立ち直れないかもしれない、知らずにいた方が幸せかもしれない。
それに認知症も手伝ってパワーアップしてる祖母に口撃されるのは間違いない。
でもやっぱり私にとっては優しい大切なおばあちゃん、私の子を見て欲しい。
そして、確かにここにいるのに5年間も存在を隠されている次男に対しても申し訳なかった。
悩み抜いた末、祖母と次男を初めて面会させることにしました。
祖母と次男、待望の初対面は嵐の予感
子どもたちを連れて会いに行くと、祖母は私が子どもを二人連れて来たことに驚き目を丸くしていました。
「どうしたんや、その子」
「私の次男なの。5歳だよ。おばあちゃんのひ孫だよ」
バギーに乗る次男を見て、祖母は絶句しています。
「何で・・何でそんな事になったんや」
「障がいがあるの」
みるみるうちに祖母の目に涙が溜まり、泣き出しました。
「どうして・・可哀想に、可哀想に・・・・」
障がい児の親が一番言われたくない言葉NO.1に燦然と輝く「可哀想」を連発しながらオイオイ泣き崩れる祖母。重たい空気。
異様な雰囲気に長男はドン引きしています。長男には祖母が泣く理由が全く分からないので、挨拶もできないまま後退り。
想定内の事態ではあったけどまさか泣き出すとまでは思わなくて、そうだよねぇビックリしたよねぇ…、祖母には分かってもらえないかもしれないな、ツンとした切ない気持ちが胸に湧き、どうしたらいいか迷いました。
次男の笑顔がもたらした、祖母と曾孫の優しい時間
意外なことにこのどうしようもない雰囲気を壊したのは次男でした。
次男の顔を見ると、初めて会う祖母、それも泣いている癖の強い97歳に驚くこともなく、緊張もせず人見知りもせず、ニコーー!とものすごい良い笑顔を振りまいていました。
バギーから降ろして車椅子に座る祖母の近くへ次男を連れていき、祖母の膝へもたれ掛かるように介助立位をさせると、にこにこと屈託のない顔で祖母を見つめています。「ぼくだよ」と言っているようです。
「可愛いねぇ、、」
次第に祖母の表情も緩み、ほのぼのした空気へ変わっていきました。そして、シワシワの手で次男の頭を撫でてくれました。次男も嬉しそうです。会わせて良かったと思えた瞬間でした。
最近の兄弟
それにしても次男の肝の据わり具合に驚きました。自分のひいおばあちゃんだと分かったのかな…。子どもの持つ力はすごい。
その後も祖母の不適切発言は冴え渡り、自分も車椅子、柔らかご飯、おむつなのに「可哀想になぁ・・ワシが代わってあげたいわ・・・・」と言われて思わず「おばあちゃんと次男が代わってもたいして変わらないし、むしろマイナスだよ」と言い返す私の心の余裕もできており、和やかに面談を終えることができました。
垣間見えた祖母の愛,そして現在の祖母
帰り際、職員さんと玄関まで見送りに来てくれた祖母が、施設の方に「あの子が車に乗るのを手伝ってくれんか」と頼んでいました。
いつも一人でやっていることなので大丈夫だよと断りましたが、祖母のその気遣いがとても嬉しかったです。今日会ったばかりの突然できたひ孫を心配してくれたことに、祖母の愛を感じました。
余談ですがその後祖母は回復し、一年経った今でも健在です。
認知症が進行し、私のことも半分忘れてしまったけれど、ふと「あんたの子は男の子二人やったな」と、次男を思い出してくれることがあり、あの時次男に会わせてよかったと思います。
そんな祖母、「最近は全然食欲がないんや・・」とぼやきながら給食を完食し、差し入れのクリームパンとヨーグルトを平らげているので、やっぱり妖怪じゃないかと思います。
担当ライター:ちはる
10歳6歳男児のママ。ディズニーと洋画が好き。ハクナマタタの精神で生きてます。特技はフラダンス